実正寺の縁起

新義真言宗、川口町錫杖寺末なり。光照山無量寿院と号す。開山詳ならず。中興第一世の僧宥賢は、弘治二年三月廿二日寂すといへば、古く開けしこと知るべし。本尊弥陀を安ず、恵心の作とも又は春日の作ともいへり。傍に地蔵を置り、弘法大師の作なり。此像の左手を失ひしにより、度々佛師に命じて補はしむといへども忽ち失ひて元の如し、これ高僧の作なるを凡下の修補する故ならんとて、其後は修造せずと云。又厨子の背後に高野山萱堂成就院宥栄、寛永十八年十月廿四日奉求之と記せり。さて当寺に伝来の由緒は、先住良賢高野山に遊学して、下山の折から師の僧より譲り請しと云、外に文殊の銅像を安ず。これ天竺より持渡りし像なりと云、いかさま面相以下普通の像とは見えず。

薬師堂。本尊の傍に日光・月光・十二神等を安ず。新四国八十八カ所のうち讃岐国金倉寺に擬せりと云。当寺の過去帳に第六世訪印宥海の時。貞享五年九月十六日客殿一宇薬師堂等を造営して、免田を寄付すと見ゆ。此時始て此堂を造りしにや。

愛宕社。渡唐天神・疱瘡神等を相殿とす。境内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)